コードノート

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ソードアート・オンラインで学ぶVRのミライ

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日頃、違う業界の人から振ってもらう話題は、人工知能かVR・ARか仮想通貨かチームラボの展示で8割ぐらい占められる気がする僕です、こんにちは。きっと趣味の少ないIT男子あるある。

昨年は、PSVRやOculusGOの普及もあって、普通の人もVRに興味を持つことが多かったことでしょう。

個人的にVRなお仕事に関わりはないですが、身近にそれを生業にしている人もいますし、趣味的な意味でももちろんバリバリ興味があります。

そしてVRといえば、当然話に上がるのが「ソードアート・オンライン(略称:SAO)」です。

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SAOはライトノベルから始まり、アニメ化・映画化もしている、VRの世界を舞台とした国内累計部数1300万部・全世界累計部数2200万部を突破する超人気作品です。ジャンプ作品でもない小説タイトルなのに、国内外共に見てもナルトの約10%ほどの部数が出ている。

今、理系学生が進路や大学の専攻を決める際にも、明らかに影響を与えているような作品と言えるでしょう。スラムダンクが流行ったからみんなバスケ部に入る、みたいなことで。

ですが、「おっVRの話ですか! やっぱSAOの話も外せないですよね!」みたいなテンションで話を進めようとすると、「え?ラノベ?アニメ?オタクのやつでしょ。それよりVRってこれからどうなんですか?」といった反応が返ってきて悲しくなるので、このブログに行き場のない熱を置いておこうと思います。

正味、すでに発売されているVR端末で、現在の安価なハードウェアで再現できることは一通りやりきっている感があるので、これからVRへの幻滅期を迎えるであろう中で希望の火を絶やさぬようにするには、ファンタジーの力も必要でしょう。

SAOは現代における、SF小説や攻殻機動隊のような存在

シリコンバレーのテックな起業家達のエピソードを見る時に、SF小説の存在はかかせません。

アップルの初代MacintoshのCMは『一九八四年』が元になっただとか、アマゾンのジェフ・ベゾスは『ダイヤモンド・エイジ』から着想を得てKindleを作っただとか、Paypalの創業メンバーは全員『クリプトノミコン』が愛読書だっただとか、適当に調べるだけでも様々なエピソードが飛び出してきます。

(参考記事) イーロン・マスク、ザッカーバーグなどの世界的な起業家がオススメするSF小説はコレだ!

国内の作品でも、『攻殻機動隊』というSFアニメ作品がたびたびIT経営者のインタビューで引用されます。

この作品だけで通信技術の発達、VRやAR、AI、身体の機械化といったテーマを網羅的捉えることが可能です。

第1話 公安9課 SECTION-9

第1話 公安9課 SECTION-9

  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: Prime Video

フィクションとは未来に訪れるかもしれない世界を、「今」に体験する装置です。その未来は今生のうちには訪れない可能性の方が高いかもしれません。

ただ、その体験をした人が未来に向けて開発を進めてくれたからこそ、今のインターネットやスマートフォンといった技術に手元にあります。そんな作品群を軽視することは、全くもってできません。

一方で、そんな有名な作品群を今若い人達が読むのは若干の辛さがあります。

僕もSF小説は超有名どころは軽く読みましたが、新しめな作品でも出版されたのが2000年ぐらいなので、当時オンタイムで読んでいた人達とは読む温度感が違うように感じられます。

その作品のコアなメッセージは多少の時間が経過しても劣化しません。

しかし、書かれた当時との社会的な価値観の変化や、今現在の技術の普及度合いを踏まえると、どうしてもあぁ昔の作品だな、という気持ちが生じてきて世界に入り込むことができません。

それこそ小説ではなく映画ですが、初期のスターウォーズだと、未来を描くのに最新CGでなく特撮技術って何で、という気持ちに。それが当時の最先端であることはわかっていつつも、今10代の人に全力でスターウォーズ薦められるかって言うと、ちょい違うよなと。

となると、今の時代にあった作品が必要であり、その一つがソードアートオンラインだと思うのです。

基本的には、VRの世界で主人公と女の子達が共に戦いながらも、きゃっきゃっうふふする作品ではあるので、その辺は現代子供版・島耕作だと思い大人スイッチを切って読む必要があります。

一方、それと同時に今の若い世代にとっての未来技術が描かれた作品になっているのです。

そこで今回は、SAOから読み解けるVRが発達した社会の可能性であるとか、危惧すべき問題点、といったことを18巻までにある4シリーズに分けて書いていきます。

書籍は以前一度手放してしまっていたので、この記事のために、Kindleで全巻1万円以上かけて買い直して全部パラパラと読み直すという謎の努力をしました。書き終えたらちゃんとじっくり読み直したい。

そしてここからは書くのが楽な敬語省略形式でお送りします。あとめちゃくちゃネタバレするので未読の場合はご注意を。

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SAO アインクラッド編 1〜2巻

ソードアート・オンライン1アインクラッド (電撃文庫)

ソードアート・オンライン1アインクラッド (電撃文庫)

 【現実とはなにか】

今作の始まりは「フルダイブシステム」と呼ばれる、現在のような視覚と聴覚だけのVRでなく、五感全体で違う世界を体験できるVRのオープンワールドゲームが発売されるところから始まる。

五感による体験も大事ながら、入力のインターフェースが理想的。今のゲームではVRの操作はどうやったってコントローラーが必要。しかし作中のゲームでは、脳波による身体操作が可能に。

つまり、VR上の身体を、現実の身体と同じように操作できる。

当然VR上の身体の方が高機能だし、さらに身体動作にコンピュータによる動作のアシストを介在させることも可能。

ゲーム上で現実さながら肉体を感じながらも、さらにプロアスリートばりの身体動作を再現できることになる。

映像の解像度が現実並みになるとか、触覚も再現されるとかよりも、この入力インターフェイスが、一番の現実感を得るポイントかもしれない。

そんな全ゲーマーの夢のような世界なので、ゲーム開始と同時に数多くのユーザーがログイン。

しかし、そこで大きな事件が発生する。それが、現実世界へのログアウト不可。VRの世界に閉じ込められてしまうのである。

フルダイブシステムでは、現実の五感をすべてカットしVR上の五感に意識をスイッチすることなる。今のゲームのように、画面を見ているのでなく、夢の中でCGで作られた空間に入るようなもの。

ゲーム開発者の意図的な操作により、ゲームにログインしているプレイヤー全員がVRという夢から覚めなくなってしまう。現実に戻る条件はただ一つ、ゲームを全クリアすること。

それだけならまだ良かったが、さらに一つ最悪の制約が加えられる。

それがゲームオーバー=現実での死亡。ゲームオーバーになると、VRのヘッドギアを介して脳を電気で焼き切ることによって死亡してしまう。

プレイヤー達は最新VRの世界という夢の世界に入ってすぐに、現実のために文字通り命をかけて戦うという試練が課せられることになってしまった。

前記のとおり、この試練はバグにより生まれたのではない。あくまでゲーム製作者が意図的に仕組んだことである。ではその製作者の意図とは何だったのであろうか。

それを一言にするのであれば「現実とは何か」という問いにあると思う。

「現実はゲームと違ってリセットボタンが押せないんだよ」なんて語られることはずっと前からあるけれど、リセットボタンの押せないゲームが作られてしまった。

そこでは、解像度がまだ現実には及ばないとはいえ、五感が再現され、現実の肉体と同じあるいはそれ以上に操作できる。

そんな世界の中で生活する時、現実が現実たる条件とは何か?という疑問が出てくる。

それは例えば以下のようなものかもしれない。

・肉親や友人といった人間関係
・子孫を残すための生殖活動
・老いと死

親そして子といった根源の生命的なものは、この未来世界であれバーチャルに再現することはできない。

一方で、血の繋がらない人間関係、そして死というのは、バーチャルで再現できる。

人間関係は、ゲームクリアに年単位かかる舞台を用意し、クリアには協力が必要不可欠となれば自然と発生する。

そして死は(倫理的な話はさておき)簡単に実装できる。

ゲーム開発者は「死」という機能を組み込むことで、VRの世界をただの娯楽ではない第二の現実としようとした。

VRの空間をいかに現実より便利にしても、多くの人間はそこを現実とは思えない。

しかし、死という苦痛を加えるとそこが万人にとって現実と化すのであれば、それは何とも皮肉な話になる。

現実が現実たる大きな条件の一つは苦痛があること、ということになるからだ。

もちろんプレイヤー達はもう一つの「現実」の条件である、肉親達との再会といった目的のため、VRの世界には入り浸らずに命をかけてゲームクリアを望んでいく。

しかし、その試練の苦しみから、よりVRの世界を現実と感じていくことになる。

・・・

とまぁ、「人の身体の暖かみをわかっていない!」「命への想像力を失っている!」とお叱りを受けそうなことを書いているわけだけど、バーチャルの世界の解像度が現実に遠く及ばない内に、「現実」とは何かを考えておくのは大事なことだよね、というお話。

SFの2時間映画だと、現実は大変でバーチャル世界はキラキラしていたけれど、やっぱり一番大切なのは現実の愛だよね!といったところで話が終わるのだけど、さらにもう一歩踏み込んだことを考えてみるのもたまには必要。

「やっぱり現実が一番!」という考えは、現代だけの考え方かもしれない。未来の話をする時に現在の価値観だけで、すべてを解釈可能だと思う方が不自然になる。

現実逃避でなく現”在”逃避し未来を思考するのがファンタジーの役割だ。

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SAO フェアリダンス編 3〜4巻

ソードアート・オンライン〈3〉フェアリィ・ダンス (電撃文庫)

ソードアート・オンライン〈3〉フェアリィ・ダンス (電撃文庫)

 【現実が2つになった時の弊害】

前シリーズの試練を2年の月日をかけて乗り越え、現実に戻った主人公だが、まだ解決しきれない問題を抱え、また別のフルダイブゲームにログインしていくことになる。

しかし、当然家族達はその行為に難色を示す。現実に残されてた人達からすれば、2年間も寝たきりになったようにしか見えない主人公が、まだその世界に接しようとするのだから。

現代でもすでに、最低限の活動以外は「VRの世界で生きていきたい」と半ば本気で言う人はいる。そして、そう思う人が増えた時、様々な社会的な問題が起きるのは簡単に想像できる。

今作中ではその一つの象徴的な出来事として、VR空間上で主人公と彼の妹が、現実での関係性を認識しない状態で出会い、そこで恋愛感情を覚える、という描写がある。

アニメ的な表現として、主人公に恋心持つ可愛い妹の存在、というのはあるある表現ではある。

ただ、現実世界では普通に兄弟をしていたのに、VR上で改めて出会いそこで恋し、その後に現実での繋がりを知ってしまい強く悲しみを感じる、というのはパッと見はアニメ的表現ながら、とてもSF的な描写だと思う。

他にも、2年間も寝たきりであったプレイヤー達の、肉体的衰弱を補うためのリハビリであったり、学校への復帰をどうするのか、心理的カウンセリングといった、大人達からの「VRなんて甘い幻想は忘れて、現実にちゃんと適応しなさい。」というメッセージが作中で繰り返し発せられる。

それでもVRの中で得た体験や関係性もまたもう一つの現実であると捉える主人公達の葛藤は、将来的に多くの人間が戦うことになる問題かもしれない。

・・・

また、今シリーズ中ではゲーム中で死んでも現実で死ぬことはない。「ゲーム上での死=現実での死」という設定は、シリーズごとにonとoffが都度切り替わる。

これは、現実のような苦痛が無くなったVRの世界も、もう一つの現実と思うことが可能か、という問いだと思う。

前シリーズでは死という苦痛が無ければ、VRをもう一つの世界を現実と感じることが出来なかった。

しかし、その試練を乗り越えたプレイヤー達であれば、そんなネガティブな動機無く、新しい世界をもう一つの現実と感じられるのでは?という、全シリーズ通しての作者の長く続く挑戦の始まりになる。

今作の主人公達は、人類で一番最初のVRネイティブになろうとしているが、その世界でゲームをしているだけであれば、周りの大人達に現実を見ろ、と言われるのは必然。

でも重要なのは、今のデジタルネイティブ世代と同様、テクノロジーの存在を当たり前の現実と捉えることだ。

仕事に使えるだとか、お金になる、役立つといった事柄は、その後に続く些細なものに過ぎない。

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SAO ファントムバレッド編 5〜6巻

ソードアート・オンライン〈5〉ファントム・バレット (電撃文庫)

ソードアート・オンライン〈5〉ファントム・バレット (電撃文庫)

 【PTSDとジェンダー】

今シリーズでは、銃器で戦い多くのプロプレイヤーも存在するゲームが舞台となる。

このゲームも通常のVRゲームであり、当然ゲームオーバーになったところで現実に死ぬ人はない。しかし、何件か立て続けにゲームで死亡したプレイヤーが現実でも死ぬ事件が発生する。

その事件の究明のため、主人公がこのゲームを新たに始めるところからストーリーは始まる。

そこで新たに登場するヒロインは、昔現実世界で巻き込まれた事件がきっかけで銃に対して強いトラウマを持っていた。

しかしながらゲームとはいえ、そんなトラウマの塊のような世界に彼女はなぜ触れるのだろうか。そこにはどうにか怖れに立ち向かい、克服しようという姿勢が見えてくる。

実は、現在でももう似たような話で、VRを活用したPTSDの治療が試験的に始まっている。

よく例に上がるのが、9.11の被害者達の治療だ。カウンセラーと共に、当時の事故現場を再現した映像をVRで追体験をする。

そこで生じる、強い罪悪感といったトラウマにつながる感情を一つ一つ書き換えていく治療を行う。それには、一定の効果が認められているらしい。

ある意味で、擬似的に過去へ戻るタイムスリップだ。

反対に、擬似的に未来へ進むタイムスリップの活用例としては、アスリートのイメトレへの活用があげられる。

よく成功したイメージをすることで、パフォーマンスが上がると言われるが、実際にVRで成功した映像を繰り返し見ることで、一定のパフォーマンス向上が認められているいう。

VRというと、空間的なアプローチにばかり目がいきがちだが、すでに時間的なアプローチも進んでいることはとても興味深い。

・・・

また、このゲーム中では主人公が新たにアバターを作成する際、現実の彼の女顔をAIが分析し自動で生成した結果、誰もが彼を女性と見間違うという一幕がある。

これは昨今のジェンダー問題への問いかけといった要素はほぼなく、どちらかというと「らんま1/2」辺りから始まる、性別が変わるアニメあるあるのSF版表現といったニュアンスが強い。

なので、これを読んだ若い読者が何か強い印象を覚えることは少ないだろうが、逆にある意味それぐらいライトに、肉体的な性別はパラメータの一つに過ぎないと捉えるきっかけにもなるように思う。

今のインターネットは現実のパラメータを公開しながら交流することが多いので、画面の向こうの相手の性別を把握していることはだいぶ当たり前になった。

しかし、少し前までの匿名なインターネットの場合、当然のように相手の性別はわからなかったし、(少なくとも僕は)大して気にもしていなかった。

当時、同級生がMMOゲーム内で、ネカマ・ネナベと呼ばれる、異なる性別のキャラクターを作り、現実の繋がりが無い相手にはその性で接する行為もしていたけれど、特に嫌悪感無く普通に見ていた。

VTuberとして男性が美少女を演じることの先駆けみたいなものだったと思う。

それが現在の、自分の性の捉え方に繋がっているのではないかと、今改めて振り返ると感じるところがある。

バーチャルでは「肉体 > 精神」でなく「精神 > 肉体」の形に自然となる。

昨今、カメラアプリで顔の造形を綺麗にしSNSへ投稿するのも、肉体はある程度ベースにしつつも、精神的にどんな形でありたいかの要素が強い。もはやメイクどころか整形レベルでの肉体的な変化が生じているし。

現実の肉体では、整形はまだだいぶ禁忌感があるけれど、バーチャルの肉体だとみんなめちゃめちゃカジュアルに整形しているのは、個人的にはだいぶ面白いところ。

現実で会う顔と、SNSで会う顔が割と違うのに、それをみんな普通に受け入れているのが不思議。

それならもうアプリで作った顔と同じになるよう、現実で整形しても何も変わらないのでは?と個人的には思うのだけど、それは性の捉え方の話とだいぶ近いのでないか思える。

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SAO マザーズロザリオ編 7巻

ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオ (電撃文庫)

ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオ (電撃文庫)

 【VRと医療】

医療という、人の命にダイレクトに繋がるテーマをゲームという文脈で語るのは、(初っ端から人の死を扱う今作ではあるけれど)中々に危ない。

どうしても、読者が生命を軽く見積もることに繋がるのでは?という懸念が出てくる。

しかしながらも著者はそれを認識した上で、できる限り丁寧にこの医療というテーマに踏み込んだように感じられる。

今シリーズでは、フルダイブシステムをただのゲーム用技術ではなく、医療的な活用をする描写がたびたび登場する。

フルダイブシステムは、肉体の五感をオフにして仮想の五感に意識を移す技術なので、それを応用すれば、麻酔なく患者の痛覚をカットできるという具合に。よく映画に出てくるコールドスリープのようだ。

痛覚も肉体の電気信号の一つに過ぎない、と考えれば将来的にありえないことはないよな、と思わされる。

今シリーズは、そんな医療システムの恩恵を受け、VR空間で生きる人物が登場する。

出生時から難病を抱え、その病状の悪化により3年間寝たきりとなった少女だ。

これまでの医療であればその治療の間、多くの肉体的苦痛に苛まれ、当然人との交流も断絶される。その負担が、VR技術により少なからず軽減される、というストーリーが展開される。

人の痛みをネタにしてテクノロジーの優位性を露骨にアピールするようなことはあまり良くないかもしれないけれど、事実として救われる人がいるのであれば救った方が良い。

肉体的にも精神的にも不自由な現実と、自由な仮想現実があった時、人はどちらに救われるのだろうか。

少なくとも、こんな辛い状態に身を置かれた人を目の前にした時、「VRなんてニセモノの世界に過ぎない。もっと現実としっかり向き合うべきだ!」なんて言葉を投げつけるひとはさすがにいないはず。

これから先、VR問わずテクノロジーが発展していくと、「大切なのは、人と人と触れ合う暖かみ」という言葉も増えてくるだろうし、それは実際にとても大切なものだ。

ただ、人は暖かいものでテクノロジーは冷たいもの、という謎の二項対立は溶かしていった方が良い。冷たい人もいるし、テクノロジーを通じても暖かさは感じられる。

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(8巻のアーリーアンドレイト編は短編集なため省略)

SAO アリシゼーション編 9〜18巻

ソードアート・オンライン (9) アリシゼーション・ビギニング (電撃文庫)

ソードアート・オンライン (9) アリシゼーション・ビギニング (電撃文庫)

 【魂とAI】

本作で人気なシリーズであり、長編なシリーズであり、風呂敷を広げまくっているのが今シリーズ。

元々、未来的なVR技術を描いてきた本作だが、このシリーズではさらに一歩技術が進んだ舞台となる。

ざっくり一行で書くと、量子脳理論によりVRの解像度が限りなく現実と等しくなり、その技術の応用で人のように振る舞うAIが登場し、そのAIを搭載したロボットも登場し、各国はその利権を握るためサイバー戦争を行う、という全部乗せ感に溢れている。

一つの技術の登場で、すべてのテクノロジーが一気に発展するというのは、今作中でのまさにシンギュラリティを迎えた世界を描いたシリーズと言える。

◼︎VRの進化

まず今シリーズでは、VRの世界をCGで制作することを止める。

現代でも、8Kだ5Gだなんだと言って、解像度や通信速度が向上する近未来は見えているけれど、それはCGを制作するコストがガンガン上がることにも繋がる。ゲーム業界では何年も前から、そのコスト問題に言及している。

じゃあどうしたら良いんだ、という問題に対して今シリーズ中での次世代型技術「ソウル・トランスレーター」では、脳に直接五感のイメージを書き込むというアプローチを行う。

作中でもその説明に対して、全員が「は?何言ってるの?」という反応をする。笑

簡単に概要だけ理解する方便として、意図的に見せたい夢を見せる技術という説明がされるので、基本的にその理解で良いだろう。

夢が夢とわかる状態を明晰夢と言うけれど、意図的に明晰夢を作り出して、さらに夢同士をインターネットで繋ぐ技術 is ヤバい。

その技術的な原理は全くわからないけれど、VRの解像度を現実と同じにし、さらに視覚と聴覚だけでなく、触覚・味覚・嗅覚も再現しようとする時、現在の技術の延長では不可能な気は確かにする。

なので、ブレイクスルーとして全く違うアプローチをする技術が生まれる、というのはぶっ飛びつつも、妥当な筋書きに思える。

◼︎時間の加速化、肉体的寿命の超越

CGで作られた世界で無く、夢の中に作られた世界を見ることになった副産物として、時間加速化という概念も本シリーズでは生まれる。

うたた寝して見る夢の中の時間の速度と、現実での時間の速度は必ずしも連動しない。走馬灯も現実の何倍もの時間速度でイメージを見ると言う。

それであれば夢によって作られたVRの世界も、現実の何倍ものスピードにすることは確かに可能なはずだ。ドラゴンボールでいう「精神と時の部屋」のVR版の爆誕である。

しかも今シリーズ中では、現実の3倍の速度どころか、1000倍まで安定運用、安全性を無視すれば5000倍まで時間加速が可能になる。

現実世界で1日を送る間に、VR上では5000日つまり13年以上を送ることが可能になる。義務教育が1日で余裕で終わってしまう。

脳にも寿命があるから、擬似不老不死にはならないという設定にとりあえずなっているけれど、肉体的に老いることなく寿命が倍になる世界。ヤバい。

映画マトリックスでは、戦闘技術を一瞬で体にインストールする描写もあったけれど、それも力技(一瞬に見せかけて、実際は夢の世界でめちゃ鍛錬する)で再現可能になる。

VRというと、空間的な制限からの解放とだけ思いがちだけど、その技術が行き着く先では時間的な制限からも解放される、という世界観はとても面白い。

◼︎AIの進化

夢を書き込む技術、と書いてきたけれど、その対象は当然「脳」だ。つまり脳の情報を読み込み、そして書き込む技術である。

であれば当然、脳のコピーも可能だ。すると登場するのが、人間の脳のデータを元にした人工知能である。ヤバい(3回目)。

人の脳を技術的に模倣できれば、AIの性能も飛躍的に向上するのでは?という話は、現代でもたびたび話されるけれど、まんまそれを行なっている。

一応、脳のコピーは出来ても、人格のコピーは不具合が生じるということで、記憶をフォーマットし赤ちゃん状態にし、VR上で人間の身体を与え教育させるという試みが今シリーズでは行われる。

AIに、人格のフレームと人間と同様の肉体を与え、0歳から教育するというとかなり時間がかかる試みだが、当然ここでは先に書いたとおり時間の高速化が行える。

5000倍なら、1000年分の学習という名の世代交代が、3ヶ月もせず完了する。

まさに「この世界は仮想現実である」ということを、この世界の人間側が実装している形だ。

そしてある程度、人工知能の学習が済んだ世界に、人間がログインしたらどうなるのだろうか、ということを主人公はそのモニターとして検証していくことになる。

現実世界で、どれだけ高度な人工知能が生まれても、ペッパー君みたいなロボットボディであれば、それを人間と思うことはない気がする。

でもVR上であれば、身体性は完全に人間と同一である。そして脳も人と同様の構造を機械的に再現したものを搭載している。

それはもはやほぼ人間と言っても良いのかもしれない。では、そこに魂は宿っているのだろうか。

◼︎AIの人権と戦争

これだけのハイテクノロジーなのだから、当然開発費はとんでもない額になっているだろう。

この世界では、その研究開発の名目はAIの戦争活用、ということになっている。急にディストピア。

VRの擬似的な世界で学習をしたAIをロボットなりに搭載して戦争地帯に投入すれば、人間の兵隊が死ぬことは無くなるだろう、ということだ。

作中の現実世界でそのような事態にはならないが、VR世界では戦争が行われことになる。

AIの学習データを奪い合うために、各国の人間がログインし争うのだ。しかも、日本 vs アメリカ・中国・韓国の連合軍という色々問題を感じる構図で。

この作品、ハリウッド実写映画化計画があったり、中国や韓国でも売れているのに、その国を敵国として描写するのはめちゃ攻めてるな、と思うところ。

ただIT利権を争う昨今の情勢を見ると、現実にAIが発展することを考える際に、見て見ぬフリをしてはいけない部分なのかもしれない。

そんな世界の中で、主人公達はそのAIを守るために戦う。日本側として海外陣営と戦ってはいるが、同時に日本の大人に対しても、AIをデータでなく人間として扱うよう訴え続けることになる。

大人は「10万人のAI人格データが死ぬことよりも、君1人が死ぬ方が問題だ。」と語る。

正直その大人に無茶苦茶同意するのだけど、主人公達はAIの命も人間の命も等価であると本心から思っている。

今、僕らの世界はある意味で、機械を奴隷にすることで成り立っている。

従業員をブラック企業的に扱うことは問題だけど、機械に24時間労働させることは何の問題にもならない。

でも仮に、その機械が人格を持った時、彼らを人間では無く機械だからと奴隷扱いして良いのか、という話だ。

テーマとしてはSFあるあるなのだけど、昔は遥か未来の与太話だったことが、現代で考えると、生きている内には無いかもしれないけど、今の延長線上にある議題に感じられる。

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そしてアクセル・ワールドへ

ということで、18巻までのSAOの話は以上。

本作はまだ進行中で、現行でも21巻まで出版されている。ぜひ手にとって読んでみて欲しい。

で、そろそろまとめをと思いきや、実はSAOの作者は同時並行でもう一つ作品を書いている。それが「アクセル・ワールド」だ。

部数としてはSAOの1/4程度だけど、エンジニア層だとこちらの作品の方が好きという人が身の回りには多い。

SAOは2022年以降のVR世界を描いているが、アクセル・ワールドはさらにその先2046年以降の世界を舞台としている。

SAOがVRの導入期だとしたら、そこで描かれた新技術が完全に浸透した世界をアクセル・ワールドでは見ることが出来る。

ここではその概要をざっくりしたものに留めておくけれど、ぜひセットで読みたい作品だ。

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

【現実とVRとARの境界の消滅】

SAOとアクセル・ワールドの違いを挙げるとしたらそれは、SAOの時代においてVRは「別世界」だったのが、アクセル・ワールドでは「並行世界」的になっているということだ。

インターネットも昔は現実とは別世界だったのが、SNSの発展で現実とある程度連動した世界になりつつあるのと近しいかもしれない。

今現在も、VRとARという言葉に合わせて「MR (Mixed Reality)」という言葉があるが、まさにMRな世界が実装された世の中になっている。

ARというと「ポケモンGo」のように、現実の世界の上にバーチャルを重ねているもの、とみんな理解していると思うけれど、MRでは現実もがバーチャルとなる。

今作中ではその実装方法として、街中全体に360°カメラが設置され、その撮影データを瞬時にバーチャルに変換し、人々はバーチャル化された現実空間を見る、という世界で生きている。

すると世界全体がディスプレイとなる。そして物質もがプログラミングの対象となる。

そうなると現実世界でも、物体を宙に浮かせたり、壁を透視して向こうにある物に見たり、さらに何かしらの形でデータを質量に変換する方法が生まれていれば(3Dプリンター的技術が何段階か発展していれば)、空中に描いた椅子が具現化してそれに座ることが可能となる。

もしディズニーリゾートでMRが実装されれば、空に妖精が飛び回り彼らとは握手ができ、建物は空中に浮きながら光輝き、霧の中を歩いていたら突然目の前に大きな山が地面から生えてくる、なんて世界になると思う。

こんな世界となる時、それを「VRを現実にオーバーレイさせる」と表現するのも、「ARの範囲を拡張する」と表現するのもふさわしくないので、MRという別概念となるのは自然のことだと思う。

MRが実装されたこの作中の世界においてもVR世界は存在するが、それはMRは現実世界の延長線上という制約上、どうしても出来ないことを行う世界のルールを変えた空間、といった立ち位置になっている。例えば、動き回っても絶対にケガをしない空間だとか。

作者が、最初SAOではVRを別世界として描いていたのが、その未来にあるアクセル・ワールドでは、VRを現実に溶け込ませて描いているのはとても面白い。

実はSAOの最初の舞台で、プレイヤー達がVRゲーム上に閉じ込められる時、彼らはゲーム上で作った別の顔(いわゆるアバター)がリセットされ、現実と同じ顔に戻されプレイをするという描写がある。

これは単に、VRの世界に現実味を持たせるための手段とも取れるが、この段階ですでに作者、そしてSAOのゲーム開発者は、最終的に現実とVRの世界がリンクする世界を着地点とし、この演出をしたのでないか、とも思える。 

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終わりに

今の世の中で、未来を語るのは割と困難だ。

有名な人が、Twitterで未来について輝かしい未来について語ろうとすると、「ちゃんと現実を見てください。そんなこと言っても目の前にこんな問題があるんですよ。」という返答が録音音声のようにループで返ってくる。まじデッドロック。

現実に閉塞感がある人は、未来の人に嫉妬したくなるのだろうし、即物的な人は、未来よりも目の前の企業の株価の方が大事だろう。

「起業家がTwitterでポエムを書き始めたらその会社はヤバい。」(問題から目をそらして現実逃避している、の意)なんて揶揄されるけれど、一方で現実的過ぎてもいけない。

「どれだけテクノロジーが発展しても、結局おじさん達の思惑・癒着があるから全く現実的ではない。」という意見こそが最もおじさん的だったりする。

理想論だけで未来の技術を語るのは確かにポエムな面もありつつ、未来のビジョンを考える時に「でもそこは◯◯社の利権があるから、それを考慮して…」と但し書きを下に連ねるのはかなりシュール。

非現実を現実にする話をする時に、現実的に考えてと言っている人の方がおかしい。

それでも、こんな現代に生きる僕らが「現実的に考えて」を捨てて未来を考えるのは難しい。

そんな時には、ファンタジーという現実を捨てた思考が可能な装置はとても便利だ。脳のロックを外すことが出来る。

大人になると、役に立つことだけを学ばなければいけないという強迫観念が出てくる。英会話だとかプログラミングだとか。

それはそれで当然土台として必要だ。大人がアニメやYouTubeばかり見ていても困る。笑

ただそんな現実的なスキルを生かすのは、一見役に立たないファンタジーだったりする。

という、大人がゲームやアニメを見る都合の良い言い訳を本記事の〆としたい✌︎('ω'✌︎ )