コードノート

コードノートはwebを中心にテクノロジー・クリエイティブを伝えるWebメディアです。コードリンク代表、片岡亮が執筆しています。

今のインターネット空間はフラットなのか。AbemaTVとかニコニコ動画のお話。

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先日からAbemaTVでやっていた元SMAPの3名が出演する、72時間ホンネテレビ内の企画で、Twitterの世界トレンド1位を目指すというものが達成されて本当に凄いですね。

通信と放送の融合という一つの時代の切り替わりとしてニュースでも多く取り上げられいくことでしょう。

そしてこのTwitterで世界トレンド1位を取った現象を「まさにインターネット的だ!」みたいに言う方々がちょいちょいいるいのですが、僕としてはこれは「インターネット」という文脈には当てはまらないんだよなーっていうのが今回の記事の内容です。

「インターネット的」とは何か

たぶん、この現象をインターネット的という人は、番組提供側と視聴者が双方向にやりとりをしてバズを起こす、というのがインターネット的だと捉えているんだと思います。

僕もリアルタイムに双方向にやり取りをできるのはインターネットの特徴だと思いますが、それはただの一つの前提としての環境だと捕らえています。

それよりも大事に感じているのが、その双方にいる人と人との関係性です。それがタイトルにも書いた「フラット」というもの。

僕の中のインターネット的というのは、リアルタイムに人と人とが双方向かつ、フラットな関係性でコミュニケーションを取れるということです。

そんな中で今回のニュースというのは、双方向にやり取りはしているけど、有名人がファンに向けて○○ってツイートしよう!と呼びかける超上下関係があるもので、なんらフラットで無いじゃん、と思っているのです。

別にそれはなんら悪いことでなく、今のYoutuber文化なども動画投稿者とファン、という上下関係があるものだし、AbemaTVに限らず最近のインターネット文化ってそういうカンジだよね、という認識でいます。

フラットな関係性と匿名性

この話って、時より話題にあがる、インターネットで匿名でコミュニケーションを取るのはどうなんだ議論に繋がるものがあります。

匿名が良い人がそう思う理由は、匿名だから好き勝手悪口言っても大丈夫!ということではありません。(そんな人も一部いるだろうけど。)

匿名の良さというのは、社会的な肩書きや年齢、容姿などに縛られずに、多くの人とフラットな関係値で仲良く話すことができる、ということに魅力があるわけです。

でも、最近のインターネットサービスは段々と匿名性が薄れ、ユーザー同士の関係もフラットでなく上下関係が目立ってきています。それはなぜでしょうか。

ユーザーは上下関係がある方が楽

まず上下関係というと、下の人が損をするように捕らえられるかもしれませんが、場の構築においては下にいる人の方が圧倒的に楽です。

上下と書くとややこしいかもしれませんが、生産者と消費者と言い換えるとわかりやすいかもしれません。

これまでのインターネット的なメディアというと、掲示板やTwitterなど、参加者全員が生産者であり消費者である、というのが主流でした。

つまり全員が、テキスト投稿ないし画像投稿ないしで、自分も消費者である前に生産者である、というのもフラットなメディアの特徴なのです。

しかし、インターネットも利用者が増え自分が何かを生産しなくても、誰かが先に作ってくれているという状態が当たり前になってくると、ただ消費するだけなユーザーがだいぶ増えてきました。

何かを作るって結局面倒くさいですからね。

そこでwebサービスを作る会社は、Twitterのように140文字だけで良いよ、とかInstagramのように写真投稿だけでも良いよ、と生産コストが低くても場が成り立つような仕組みを頑張って作ってきました。

それでもユーザーはインスタ疲れしているぐらいですから、「イイネ!」を押すのが精一杯な生産行為という人も増えてきているのでないでしょうか。

そうやって自分もその場で何か生み出すよりも、何もしないで上の人が作ったものを消費する方が圧倒的に楽です。さらにインターネットの成熟に伴ってそれでも一時的には成り立つようになってきました。

でもそんな場も全員が生産せず、ただ消費するのが当たり前になってくると当然崩壊してしまいます。

そんな中で日本のwebサービス会社の多くがやっていることは、ユーザーの生産を促進することでありません。

有名人の起用や、ネットですでにある程度名が売れている人をピックアップしていくことを始めました。それはなぜでしょうか。

上下関係がある場のほうが収益を上げやすい

それは、フラットなコミュニティ内では金銭のやり取りが発生しにくい、という点に大きな要因があります。

基本的にお金というのは、その場にいる人達の上下関係が広ければ広いほど、多くやり取りされます。アーティストやアイドルとそのファンの間には上下関係がありますし、先生と生徒の間にも上下関係が存在します。だからお金を払います。

下の人は上の人と距離が離れていればいるほど、その距離を埋めるためにお金というアイテムを利用するわけです。

だから、例えばTwitterで有益なやり取りが出来たらお互い知識の等価交換ができているわけで、そこにお金のやり取りは発生しません。互いに生産者で提供する価値同士が相殺され満足できるからです。

でも例えば、アイドルとファンみたいな生産者と消費者という場になると、消費者は生産者に対して渡すものがないので、代わりにお金を支払うことになります。

なんだかすごく当たり前の話をしていますが、場を提供する側としては、その場がフラットで金銭のやり取りが発生しない場なのか、上下関係があり金銭やり取りのある場なのかはとても重要な事項です。

なぜなら場を提供する人達は、その場への参加費用や、その場でやり取りされる金銭に手数料をかけることで収益を得るからです。

ネットサービスなら直接金銭が発生しなくとも、人がたくさん集まれば広告収益で売り上がるんじゃ?とも思われていそうですが、Twitterですらしっかりとした広告収益の体勢は整えられていません。

広告だけじゃ採算が合わないなら、その場で直接金銭発生させる仕組みが必要で、そのためにはユーザー同士の関係をフラットにするのでなく、上下関係をつけた方が良いんですよね。

上下関係を作って収益を上げるというのは、ネット限らずなことですが、古い感覚だよなーと思いつつ、みんな結局それ好きねってかんじです。

ニコニコ動画もフラットな場では無い側面が大きくなりつつある

日本において、フラットなネットコミュニティ空間として有名なサービスにニコニコ動画があります。

動画を投稿するほどのスキルがない人でも、コメントで動画にツッコミをいれることで、そのコメントもコンテンツの一部となり自分も生産者になれる素敵文化ですね。

しかし、そんなニコニコ動画も数年前から、公式生放送やニコニコ超会議といったリアルイベントで有名人を起用したり、一部の有名動画投稿者をピックアップし有料のチャンネル会員制度(ファンクラブみたいなもの)を整えるなど、これまで書いてきたような上下関係を生み出す形へシフトしていました。

それは、そうした方が収益が上げやすいからでしょう。

ニコニコ動画というと、最近プレミアム会員数が減少したということでニュースになりましたが、この有料チャンネル会員制度からの収益も考えれば売上は伸びているのでないかと思います。決算書見てないので知らないですけど。

この選択は、短期的な収益を出すという点では正しいのかと思います。しかし、それはフラットな場を形成した恩寵を焼き畑農業的にしているとも捕らえることができます。

実際問題、最近新たな有名投稿者がニコニコ動画では生まれてるとは言えず、Youtubeに若い動画投稿者が流れ、既存メディアの有名人をAbemaに取られているニコニコ動画がどんな一手を打つのかは注目していきたいですね。

それでもフラット文化は美しい

つまるところ、商売を考えると「フラット」というのは成り立っていないのです。それでも前々からインターネットをやっていた人達はその文化を美しいと思っているのではないでしょうか。

先のニコニコ動画の有名動画投稿者であり、今はアーティストとしても有名なハチさんこと米津玄師さんも最近のインタビューで「砂の惑星」という新曲について以下の発言をしていました。

ハチ 最初に依頼していただいたときは「どうしようかな……」と考えていたんですよ。で、最近のニコニコ動画をずっと観ていたんです。ランキングとか、自分が観なくなってから流行った動画とかをさかのぼって観たりして。なんと言うか、僕が投稿していた時期とは明らかに景色が違う。ニコニコ動画というもの自体がどんどん砂漠になっているというイメージが広がっていって。「ああ、これ、砂漠だな」と思ったときに、自分がかつて過ごしてきた一種の故郷である、ニコニコ動画が砂漠になっていく光景を曲にしたら面白いんじゃないかと思ったんです。今のニコニコ動画を表現するべきと言うか、する人がいてもいいんじゃないか、と。これならやる意味があるかなと思って、依頼を受けました。

初音ミクの10年~彼女が見せた新しい景色~| 第1回:ハチ(米津玄師)×ryo(supercell)対談 2人の目に映るボカロシーンの過去と未来 (3/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

今のインターネット文化は、ニコニコ動画に限らず砂漠化しているのかもしれません。それでもお金のためにこれからも伐採をする人達の方は変わらずいるどころか増えていくのでしょう。

フラットなインターネット文化は死んだ!とは言いません。でもここ十年ぐらいでフラットはお金にならないというか、フラットはお金のない社会を目指している文化だ、ということは証明されてきたのだと思います。

ここ数年、そんな中でこれから僕らは何をしていくか仮説も出せていない時期でした。でもボチボチ何か見えてくるのではないか、という時期になってきてこんな曲も生まれてきているのではないでしょうか。

なにか具体的なオチがあるわけではありませんが、改めてこんなことを考えてながら生きていきたいよねっというお話でした。

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